Instagram始めました。見ているだけです。
2015年03月07日
友人が「私はFacebookよりもインスタグラムの方がたくさんやってるんだよ。フォロワーもいっぱい」と言うので、一度インストールしてすぐに外してから長らく放置していたインスタグラムを再インストールしてみました。再インストールはiCloudからワンタッチでできます。
さて、アカウントなんて覚えてないぞ?と思いつつ「Facebookでログイン」をクリックするとあっさりつながり、目的の友人も発見できました。
自分のアカウントは?と確認すると、いつも使うアカウントの、まるで「打ち間違い」のような名前です。自分で意識して設定したとはとても思えない。イラン人のような(失礼)名前です。○○○oom(ドゥームみたいな)とか。私が酔っ払ってそのまま設定したのでしょうか?今となっては謎です。
まだ投稿していません。
たぶん今後も投稿しないと思います。
私が意識して撮る写真は、基本一眼レフ。iPhoneで撮るのは「写真として」ではなく、その場で誰かに伝えるためのメモ程度です。だから携帯内蔵カメラが基本のインスタグラムは、使う必要が無いでしょう。Kiss X7に無線LAN内蔵SDカードでも入れてiPhoneに転送、iPhoneから投稿なんてことになれば話は別ですが。
もう一つはインスタグラムのコンセプト。「写真だから言葉の壁を越えやすい」「考えないでも面白ければ投稿できる」「有名人も多く使っていてプライベートな写真も見られる」どれも「私の発信手段」としては無用です(有名人・芸能人のプライベートにも興味が無い)。
使っている友人がいる限り、見るのは楽しいのでログインしますけどね(^_^
インスタグラムを否定するのではなく、私には合わないというだけです。ツイッターと同じくです。
Facebookは「17歳の時に出会ったオーストラリアの女の子と連絡がとりたい!」との目的で始めました。本名で検索したら一発発見!以来、旧友との連絡ツールとして便利に使わせてもらっています。が、こちらでも「つぶやき」「〜なう」は一切やりません。メリットが見出せないからです。
Facebookは便利で本当に世話になっていますが、運営体制・システムについては大いに疑問を持っていますので、最低限の利用に留めています。
発信するからには責任持とう
と思っています。
素早く発信できるツイッターでは、責任持てるほど熟考する時間がありません。かといって当たり障りの無いことでは面白くありません。
最近はだいぶ沈静化したようですが、「出所不明の噂」を「シェア」で拡散するFacebookも気味の悪いものがあります。医療・食べ物・美容・生活習慣・東北、列記すれば限りないほどの「良さげな話」「今までの常識は間違っていた!」な煽り記事が蔓延しています。中には私の不勉強で正しい情報もあるかもしれませんが、裏付けもとれない内に「いいね」「シェア」してしまう風土は払拭したいものです。
そんな中でブログは落ち着かないと書けないし、システム的な制限もゆるいため力一杯説明もできます。
(自分の責任で)記事のバックアップも自由で、記録性も高くなっています。その分、書いたことには責任を持たないといけないですね。
このぐらいのペースが(何度も言いますが)「私には」ちょうど良いようです。
「この情報は、みんなに急いで知らせなきゃ!」
この情報:それは正しい情報?
みんな:「みんな」って、誰?
急いで:1分1秒を争うの?
知らせなきゃ!:知らせることであなたは嘘吐きになるかもしれないよ?
この記事は2015/03/07に公開され、20 views読まれました。