「楽をするためにルールを盾にするなら、そんな活動止めちまえ」と思った件。
2015年06月06日
より良くするためのルールがいつのまにか
例
- 自転車の暴走行為・危険運転が社会問題化→「自転車は車道」という一側面のみを強調→逆走等の危険が増加→教育も免許制度もすっ飛ばして罰則のみ強化(またどこかに利権が発生しているのか?と勘ぐりたくなる)。
- 食中毒が出ると困るので食品の持ち込みは一切禁止(これは理解できる)→外国の食習慣が異なる人を受け入れるが、対策はしない(ならば何故受け入れる?)。
- 個人情報保護が叫ばれて久しい→何をもってして個人情報と捉えるか、その判断をせずに「情報」全般を規制→交流手段を遮断。
- 個人情報保護や児童ポルノに該当する恐れがあるとして、写真撮影を禁止または使用を禁止(ならば何故撮る?)。
- 仕事の指導をするとパワハラ。
- 「スメハラ」と言えば「セクハラ」と返される/訴えられる。臭いんだよ!まあスメハラという言葉以前に、強芳香性柔軟剤がいい匂いと思う人の鼻は壊れていると思っていましたが。
良識はどこへいったのか?と思い悩む今日この頃です。
思考停止の恐ろしさ
特に個人情報保護については、たいへんな恐怖を感じています。会社・学校・団体において交流のための基本情報である電話番号・住所、はては年令・メールアドレスまでもが「単体項目」毎に「個人情報」として扱われ、名簿の無い組織がますます増えています。
交流を目的とする団体が会員の情報を共有しないとは、これいかに?
本当に悪いやつは世の中いるものでそれは注意しないといけないのですが、安全最優先で自分たちの活動を狭めていては、活動それ自体が意味を失うこともあるのではないでしょうか?
ルールの正しい理解と、自分たちの目標と、安全性と、すべてをバランス良く見ながら考えて行かないといけないなあと思います。息を潜めてじっとしていてさえも「絶対の安全」など無いのですから。
この記事はルールの間違った理解や、ルールを遵守しようとするあまりの極端な制約、ことなかれ主義に対する疑問であり、安全性を無視・破壊しようとするものではありません。
この記事は2015/06/06に公開され、44 views読まれました。